PICマイコンの歴史
マイクロチップテクノロジー社が誕生した経緯とは?その歴史と、PICマイコンの歩みをメモリーの変遷を中心に紹介します。
1-1-1.マイクロチップテクノロジー社の誕生
PICマイコンを開発するマイクロチップテクノロジー社(Microchip Technology Inc.)は、アメリカを本拠地とする半導体事業者で、その前身は1923年に設立されたゼネラルインスツルメント社(General Instrument Corp.)です。ゼネラルインスツルメント社の一部門であったマイクロエレクトロニクス部門が、独自に設計したマイクロプロセッサーや音源チップなどを開発、1980年代にMSX規格のパソコンやアーケードゲーム機などで使われていた同社の「AY-3-8910(および、その相当品)」は、当時最も普及していた音源チップとして知られています。
PICマイコンは、1975年ごろに同社の16ビットマイクロプロセッサーである「CP1600」の入出力機能を補うマイクロコントローラーユニットとして開発されました。これがPICマイコンが誕生した瞬間です。初代PICマイコンである「PIC1650」のアーキテクチャは、その後も受け継がれ、PICマイコンの起源となっています。
PICマイコンを開発した同部門ですが、1980年代に行われた同社の大規模な事業再編により子会社化されて、GIマイクロエレクトロニクス社(GI Microelectoronics Inc.)となり、その後、投資会社に売却され完全に独立した会社となりました。新会社では、PICマイコンとEEPROMの開発に注力することを戦略として、1988年に最初の製品である「PIC16C52/53/54/55」を市場へ投入しました。この「PIC16C5X」シリーズは、プログラムメモリーにEPROM(Erasable Programmable Read Only Memory)が採用されました。そして、翌年の1989年に社名をマイクロチップテクノロジー社に改め、現在に至ります。
PICマイコンの「PIC(ピック)」にはどういう意味があるのでしょうか。初代PICマイコンである「PIC1650」のデータシートには「Programmable Interface Controller」と記載されていました。その後、周辺機器との入出力を制御するという意味の「Peripheral Interface Controller」に改められました。
1-1-2.PICマイコンの歩みとメモリーの変遷
1988年に「PIC16C5X」シリーズが市場へ投入されて以降、ADコンバーターを内蔵して大幅な機能強化を行った「PIC16C71」、当時の最高性能となる「PIC17C42」などがラインナップに加わりましたが、PICマイコンの市場規模はまだ小さなものでした。
「PIC16C5X」シリーズ以降、プログラムメモリーにはEPROMが採用されました。このEPROMは、紫外線消去型EPROM(UV-EPROM:Ultra-Violet Erasable Programmable Read Only Memory)と呼ばれるもので、パッケージ上部には紫外線消去用のガラス窓が付いていました。このガラス窓に専用の装置で紫外線を照射することで、プログラムが消去できる仕組みです。また、同じEPROMを使いながら、ガラス窓を廃して廉価なプラスチックモールドで覆ったワンタイムPROM(OTP:One Time Programmable Read Only Memory)というパッケージも提供されていました。このパッケージはその名の通り一度のみプログラムが書き込めるものです。プログラム開発時には窓付きのパッケージを使うことで繰り返しプログラムの書き込みを行い、量産時には廉価なOTPパッケージが使われました。
PICマイコンの市場規模が拡大したのは1993年でした。そのきっかけを作ったのは、この年に開発された「PIC16C84」です。この「PIC16C84」のプログラムメモリーにはEEPROM(Electrically Erasable Programmable Read Only Memory)が採用されました。それまでの紫外線消去型EPROMでは、プログラムの書き換えができるものの時間がかかり効率がよいものではありませんでした。EEPROMはその名の通り、電気的にプログラムを消去できるため、プログラム開発の効率は格段に向上しました。また、「PIC16C84」には、プログラム中から書き換えが可能なデーターメモリー(EEPROM)が搭載されていました。これらが開発者の支持を得て、PICマイコンの出荷数を伸ばしました。そして、同年にマイクロチップテクノロジー社は株式を公開、拡大する需要に応えるべくアリゾナ州テンピに新しいウェハー工場を建設しました。
翌1994年にマイクロチップテクノロジージャパン株式会社が設立され、本格的な日本進出を果たします。マイクロチップテクノロジー社によるセミナーの開催やトランジスタ技術(CQ出版社)がいち早く紹介したことで、個人ユーザーにも注目されるようになりました。当時他社のワンチップマイコンは、小ロットユーザーには提供されず入手困難なものでした。そんな中、PICマイコンが1個から購入できたというのは、個人ユーザーの心をつかんだ魅力の一つだったのではないでしょうか。
CQ出版社が発行する「トランジスタ技術」は、1964年に創刊され、日々発展するエレクトロニクスの世界をユーザーの視点で捉え情報発信してきた「役に立つエレクトロニクスの総合誌」です。「トランジスタ技術」で初めてPICマイコンが特集されたのは、1995年12月号のことでした。「新しいコンセプトのRISCマイコン-PIC16C84 ワンチップ・マイコンで行こう!」と銘打った特集は、そのタイトル通り「PIC16C84」を中心としたもので、そのアーキテクチャーや内部構造などの概要・ROMライターの製作・プログラムの開発方法などが紹介されました。さらに、3年半後の1999年5月号では「大人気のPICマイコンで楽しみながら学ぼう ワンチップ・マイコン実践入門」というタイトルで特集されており、短期間で不動の人気を獲得したことがうかがえます。この頃、人気のPICマイコンは、「PIC16F84」でした。
1999年頃、人気を博していたPICマイコンは、「PIC16C84」の後継機種となる「PIC16F84」でした。「PIC16F84」のプログラムメモリーは、従来のEEPROMから製造コストが抑えられるフラッシュメモリーに変更されました。一方、データーメモリーは、EEPROMのまま変更ありませんでした。その理由は、コストと書き換え回数です。「PIC16F84」のデーターシートによると、採用されているフラッシュプログラムメモリーの書き換え回数は1,000回、EEPROMデーターメモリーの書き換え回数は10,000,000回となっています。これは、量産後にプログラムの書き換えが発生する頻度は少なく、逆に、比較的頻繁にデーターの書き換えが発生しても十分に耐えられるようにするためです。
その後、改良された「PIC16F84A」では、フラッシュプログラムメモリーの書き換えが可能な回数は10,000回になりました。さらに、2010年に発表された「PIC16F1」シリーズでは、EEPROMの代わりとして使用できる、高書き換え耐性フラッシュメモリー(HEF:High Endurance Flash)が採用されました。HEFは、フラッシュプログラムメモリーの最大アドレス端に配置された128バイトの領域で、その書き換えが可能な回数は100,000回に高められています。
PICマイコンには、どのくらいの種類があるのでしょうか。マイクロチップテクノロジー社のホームページで確認したところ、なんとその数は1,000種類以上(パッケージの違いは含まない)。これは、マイクロチップテクノロジー社の、製品を廃盤(ディスコン/discontinued)にしないという方針と、新しい機能を追加することにより進化し続けるという技術革新の結果です。
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